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箱職人が「手作りキットの会社」を創業。発想の転換から生まれた新たな価値

 当社(さくらほりきり)は、1977年に私の父、堀切彌太郎によって創業されました。箱職人しか経験していない父が、いきなり会社を起業することになったのは、とある運命を変えるできごとをきっかけにした「発想の転換」があったからでした。
 今回はさくらほりきりの創業のいきさつと、それに伴うさくらほりきりとしての根幹となる企業理念をご紹介したいと思います。


はじまりは家業の箱職人

 創業者である私の父、彌太郎は、家業であった戦前から続く箱屋の三男として生まれ、職人として働いていました。戦前から続くといっても決して順風満帆だったわけではなく、戦争で全て焼け出され、仕事もなく家には借金だけが残された状態だったようです。
 家業の借金返済のために、中学卒業と同時に作業場兼自宅の家内工業の職人として働き、10年以上、布団を出した後の押入れを自分の居場所として過ごしていたそうです。
 借金返済のために一生懸命働き、職人としての箱作りのノウハウを習得していきました。

 その後、日本経済自体が成長していたこともあり、10年以上を掛けて借金も無事に返済し、箱屋の仕事も順調に推移していったようですが、父・彌太郎にとっては一つの悩みがありました。
 家業とはいえ、社長である兄は自分の趣味にお金をつぎ込んで自由気ままに生活しているものの、三男の自分はただの職人として使用人に過ぎず、決して満足のできる生活ができていたわけではなかったようです。そういう事情もあり、このままここで働いていても兄に良いように使われるだけだから、将来については、しっかりと身の振り方を考えていかなければならないと感じていたようです。

創業者・堀切彌太郎

オイルショックによる価値観の変化

 時は過ぎ、1973年、オイルショックが日本経済を襲います。あらゆるものの物価が急速に上昇し、必要のないものは無駄を省くという考え方から、商品を入れるための”箱”は無駄という風潮になってしまったそうです。確かに箱が無いと商品が売れないのか?というとそんなことはなく、物価が上がっている時代には、余計な経費はかけない方が良いという事で、箱屋の仕事はあっという間に注文が止まってしまったそうです。
この前年に子ども(私)も生まれ、家族を養っていかなければならないという時に、これからどうなっていくのだろうかと不安でいっぱいだったようです。

 この時、自分たちが職人として作っていた「箱」という商品は、今までは商品を売るために必要とされるものだと思っていたが、世の中の価値観が変わってしまうと、お客様が買い求める商品の価値を上げるための付属品であるかもしれないが、メイン商品として求められているわけではないと実感したそうです。
 こういった価値観に変わると、お客様が本当に欲しいと思われるメイン商品で商売をしていかなければ、とても厳しいと痛感しました。とはいっても、今まで箱職人として生きてきた自分に他の仕事が出来るわけでもなく、箱に付加価値を与えられるアイデアを考えていかなければならないとの思いを強くしました。

 父はよく語っていました。「職人にとって、仕事が無いことほど辛いことはないんだ。全くやる事が無くなってしまうんだから。それまではお客様からの発注があって初めて商品を作るという受注生産だったので、注文が無ければ何もすることが無いのが辛いんだ」と。
 職人作業しか経験のない父には、仕事が無くなったら、ではどうすれば仕事を作れるのか?営業的な発想は出来なかったし、知識も無かったのです。

きっかけは近所のおばさん

 そんな時、外国人のお客様向けのお土産として、千代紙を貼った小さな紙製のタンスの見積依頼がきました。久しぶりに訪れたチャンスなので、絶対に受注したいとの思いで、必死になって図面を書きサンプル制作をしていました。
そんなある日、近所のおばさんが仕事場にやってきて言います。「あら可愛いじゃない。私にも頂戴!」と。昭和時代のモノづくりが盛んな下町では、玄関は開けっ放しで、近所の人も気軽に声をかけて入ってくるような、ほのぼのとした時代でした。

 父にとっての大きな転換点ではありましたが、まだ気づくはずもありません。「せっかく久しぶりに出てきた案件を受注するために必死になって作っている時に、近所のおばさんに邪魔されたくない。早く帰ってもらって見積もりを作らなければ」。
 
 そんな思いから、余分に切り出してあった部品を渡し、「これを組み立てれば自分で作れるから」と体よく追い返してしまいました。内心、『これは職人だから作れるのであって、素人のおばさんに作れるわけはないだろう』と高をくくっていました。

 数日後、「出来たわよ!」と、おばさんが満面の笑みで見せに来ました。そのおばさんの笑顔を見た途端、『これだ!』と思ったそうです。
発想の転換がされた瞬間でした。職人の自分が作るのでは、よほど高級な物でない限りメイン商品にはなれない。特に今までのような紙箱では難しいだろう。

 逆に、職人の技で誰でも簡単に作れるようにして提供できれば、自分で作れたという「喜び」という付加価値を付けることが出来、こんなにも満足してもらえる商品にすることが出来る。これならば今までの箱作りのノウハウを生かしながら、紙箱を「メイン」商品として価値あるものに出来るのではないかと、瞬間的にイメージが浮かんできたそうです。

 これは、決していきなり閃いたわけではなく、今までの苦労や色々な課題をどうするか?と常に悩んでいたからこそ、全てが繋がってイメージすることが出来たんだと、後々語っていました。

はじまりは小さな紙製の箪笥。通称「和紙工芸」

悩みの先に見えた新たな時代

 オイルショックが無ければ、今までの箱屋の仕事をこなすだけで、自分の仕事に対しての付加価値を考えることはなかっただろうし、家業を続けることを考えていたら、このような発想をすることも無かっただろうと。
自分の人生をこのまま終わらせたくないという目標があったからこそ、オイルショックで仕事が無くなってしまうという苦労があったからこそ、悩みぬいたからこそ付加価値を見つけられた。
今までの受け身の人生を変えていきたいと願ったからこそ、発想の転換をすることが出来たんだと語っていました。

 高度経済成長が終わり、世の中の価値観も変わり、便利なものを手に入れたいという「モノ」消費の時代は終わり、これからは「ココロ」にもっと光が当てられる時代になるはずだ。
 
 だからこそ、お客様に喜びを与えられる仕事は、絶対に価値のある仕事になるはず。職人が作ったような完成度の作品を誰でも簡単に作れるようにした手作りキットを通し、お客様に「作るよろこび」を提供する会社として、家業の箱屋から独立しさくらほりきりを創業することを決意したのでした。

創業一周年記念の様子。蔵前店(1号店)

変わらない理念とこれからの取り組み

 その後、試行錯誤を繰り返しながら、社員一人、商品1つ、お客様0という状態で会社を1977年2月28日に創業することとなりました。以来、今年で創業48年目になります。創業時とは世の中の価値観も当然変わりましたし、社員も殆どが入れ替わり、当時のことを知っている社員もいません。

 当然私も知らないからこそ、父から聞いていた会社の歴史をきちんと伝えつつ、当社が設立された存在意義としての「作るよろこび」、『モノではなくココロを豊かにできる商品を提供していく』という経営理念も、しっかりと意識し、将来に向けて取り組んでいきたいと考えています。

 世の中は、手作りという行為自体が敬遠されるようになり、手作りをする人はどんどん縮小してしまっているようです。だからこそ、我々は手作りの経験が無くても完成度の高い作品が作れる商品を開発し、多くの方に手作りを体験して欲しいと考えています。
 自分で完成させた時の満足感や達成感、手作りのプレゼントで相手に対する思いを込めたり、人に褒められたりする承認欲求、時間を忘れて夢中になりストレス解消にもなるなど、手作りにはこころを豊かにしてくれるという付加価値が絶対にあるからです。

 当然、これからの時代は介護予防や認知症予防に手先を動かしたり、説明書を読んで作り進めるなどの空間認知機能の向上にも効果があると言われています。

 地域の集まりでも魅力のある活動をしていかなければ、なかなか継続して活動が出来なくなっています。そんな時にも、当社のキットをご利用いただいて、役員の方は準備の負担を減らしつつ、皆さんでお互いに教えあって、楽しく手作りイベントを開催していただける事例も沢山出てきています。

 こうした手作りの魅力を広めていけるよう、「作るよろこび」を提供することを根本にして、世の中に喜びと感動を提供できるように取り組んでいきます。

地域交流拠点を目的とした「子ども食堂」(特定非営利活動法人 スコップ 様)